その先のポストモダン

オギュスタン・ベルクランドスケープの本を読んで以来、
日本のポストモダンが何なのかということをうすぼんやり考え続けながら生きている。

西洋に追い付け追い越せしようとしてきた日本が、それを追い越したとき、
技術力以外の、国力以外の日本の価値は何であるのか。
日本のポストモダンとは何なのであるか。
ひいては、現代人、個々人のポストモダンとは何なのであるか。

私は、ポストモダンを考えるなかで、星野源にたどり着いた。

星野源のソロデビュー期の音楽は、
ものすごくシンプルである。
シンプルな旋律で、
日常を見つめ、
小さな心の動きをとらえ、
自虐ながらポジティブな歌詞を歌う。

そこから次第に、
星野源が愛するブラックミュージックと星野源本来の音楽の融合が図られる。
よりダンサブル、
よりハッピー、
よりキャッチー、
な音楽となり、人気もうなぎのぼりとなる。

つまり、
小さなできごとに注目する独自の視点を活かし、
よりポップに脚色する力を海外に借りて、
結果的によりキャッチーになっていく、

この過程は日本のポストモダンの一つではないのか、
ポスモンなのではないか、
ポスモンGO!なのではないか。

私が何が言いたいかというと、

ポスモンへの理解をより深め、
持論をさらに発展させていくためにも、
星野源のアルバムは、
購入したいというか、
もはや購入せざるを得なく、
この費用は嗜好品への出費というか、
現代人への命題に答えるための出費であり、
生活費に近しい側面を持っているとも言えるため、
個人の出費ではなく、
家の出費として計上しても、
客観的に何ら問題はないと判断できる、

ということである。
じゃじゃーん。