ぷーら。

f:id:ariooo:20200405153702j:plain物や人の名前を言ったり、
呼んだりするときに、
自分以外の人に通じるように、
正式な名称で、その名前を言わなくてはならないというのは、
結構ストレスがかかるものである。

それを最近発見した。

家族や友達など、その限られた間柄で、
人や物に特別な名前を付けて、
その名前を言ったり、呼んだりする。

あるいは自分一人で、
人や物に特別な名前を付けたりして、
心のなかでひっそり呼んだりする。

これは、社会のなかで、
知らず知らずのうちにたまった上記ストレスを無意識のうちに発散する手段のひとつなのかもしれない。

最近、現実逃避をしないと、
人生楽しくないよなーとポジティブに考えている。

ポケモンGOとか、
インスタ映えとか、
ローウィンの大騒ぎとか、
かもめ食堂をいいなと思う気持ちとか、
私が2年間駅前留学を続けていることとか、
全部、一種の現実逃避である。

それがダメというつもりは全くなく、
むしろ、人間は社会という高ストレスを受けるコミュニティに属さなければならない場合、
現実逃避をすることが欠かせないと思う。

一種のセラピーなんだと思う。

そして、みんなとは違う名前で、
人や物を呼ぶということも、
自分が自分へしてあげている、
セラピーなのかもしれない。

そんなことを、
プラのごみ箱に、ぷーら と書いた自分の字を眺めながら考えた。

私がここ最近、
アプリ版のどうぶつの森に触発され、
夜な夜なDSでどうぶつの森をプレイしているのも、セラピーのひとつ。

くぼくんが、内緒でプリズンブレイクのDVDボックスを買ってきて、本棚に忍ばせているのも、セラピーのひとつ。

1億総活躍時代になると、
この、人が求める現実逃避のコアは、
ビジネスチャンスなんだろうな。