おげんさんといっしょ

先日、おげんさんといっしょという星野源の初冠番組を視聴し、おもしろかった。
おもしろいというよりは、心地よかった。

星野源が番組冒頭で、歌番組の出演というのは、ものすごく緊張するもので、何かそういった緊張から解き放たれたリハーサルのような番組をやってみたかった、そういった方が新しいものが生まれやすいと思った、と番組コンセプトを語っていた。

言われてみると、視聴者のこちらも 、リラックスできる家に帰ってきて、ガチガチに緊張した人のパフォーマンスを見るより、鼻歌ぐらいの気楽で心地よい音楽がテレビから流れてるぐらいがちょうどいい。

私は、ガチガチに緊張した星野源やりんごちゃんをテレビで見たいのでなく、星野源やりんごちゃんがのびのびして楽しそうにしてる姿が見たい。
自由な彼らの本質にアプローチした番組が見たいのだ。

そういった意味で、おげんさんといっしょはとても心地よい番組だった。まあ、テレビだから全くの自然体など不可能だと思うが、自然体により近づいていたと思う。

この心地よさを求める私の気持ちは、おげんさんだけにとどまらない。

料理番組である。

私は、料理番組が好きで、
実際に作るためというよりは、ただぼーっとひとつのものができあがっていくのを眺めるのに悦を感じている。家の録画のほぼ半分は料理番組である。
これは今まで複数人から賛同を得ている嗜好であり、こういう人は実は結構多いのではないかと思っている。

しかし!料理番組。
これは、段取りの塊である。
当たり前であるが、いかに美しく見せるか、いかに時間内で美しく時間を使って完成させるかに主軸がおかれている。(※平野レミ巨匠除く)

調理過程で出たゴミはどんどんアシスタンタトがフレームアウトさせ、次に使う調理器具はどんどんフレームインしてくる。

普段家では絶対にやらない、盛り付けで汚れた皿を布でふくという行為があくまで自然になされ、洗い物のシーンはほとんどない。

見たい。
先生がテレビ的なことを全く気にせずに、普段の家庭で作っているかのような姿、その全行程を見たい。
調理を進めながら、洗い物をする姿を見たい。

あ、結構、スポンジに洗剤付ける派なんだ、
おお、このタイミングで、さっきのザルを洗うのか、
ほう、残ったショウガはそうやって冷蔵庫にしまうのか、
へー、生ゴミはこうまとめるのか、
あ、さっき使った皿をここでも使うのか、

調理過程の始めから終わりまで、
余所行き感なしの番組を見たい。

なんなら、料理は解説してくれなくていい。
横でバンドか何かが演奏してて、音楽が流れながらただの調理行程が流れてるだけの映像でいい。そしてもはや料理がうまくなくてもいい。先生じゃなくてもいい。横でたかしこが踊っていてもいい。

地上波で!って、わがままいわないから。

まあ、もしや、もはや存在しているのかもしれないが。

おげんさんといっしょを見て、
作り上げられたものを見る、
ということだけが、即ちエンターテイメントであるということではないことを再確認した。