紅白見聞録

謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします。

と言いながら、昨年のこと。

ゴジラがすべったやら、
タモリとマツコの無駄遣いやら、
いろいろと言われている紅白。
毎年、ディスられる運命の紅白。

そんな紅白、
私は物心ついて以来見続けている。
そうなのです、紅白ファンなのです。
ここ最近は録画して、
気に入った歌手のところを何回も何回も観て、悦にひたっていとをかしでおります。

さー!
そんなことで、
誰にも頼まれてないけど、
今年の紅白でのお気に入りをプレイバック!

関ジャニ∞
1年でしっかりと関ジャニ∞の曲を聞くのは紅白のみだけど、元気が出る歌でとてもよかった!
出だしの渋谷すばるさんの安定感がナイス。

椎名林檎
もはや絶句。異次元。
尺の長さからいって、安室ちゃん枠だったのかと推測している。安室ちゃん見れなくてとても残念だったが、もう林檎ちゃんでおなかいっぱい。
NHKの中で強烈な林檎ちゃんファンがいるのだと確信できる演出。
とゆうか、林檎ちゃんファンすぎて、演出の裁量をすべて林檎ちゃんに委ねたのだろうか。
林檎ちゃんの歌うせつなさ×東京の夜景×なんかものすごい映像技術!
びば!
青春の瞬き、いい曲だよね。

イエモン
JAMがこんなにもいい曲だとは知らなかった。新聞の広告もかっこよかった。
吉井さんはいくつになっても王子さまみたいだね。矢沢アイのパラキスのジョージみたい。
イエモンみたいなかっこいいバンドが、紅白出るのが目標だったから出れてうれしいと言ってるのを観ると、もう世間からディスられたって気にすんなよ!NHK!と鼓舞してあげたくなる。

◆うらちゃんとAI
うらちゃん、ハマり役だよね~つくづくいいCMだよね~としみじみする。
そして家族に、これはBEGINの曲なんだよーとBEGINの布教活動を行う。

高橋真梨子
いつも衣装とヘアスタイルが素敵すぎる。何年経っても色褪せない、ごめんね。小学生のころ、CDTVをみていて、なぜ毎週ごめんね。がランクインしているのか不思議でしょうがなかったが、今なら分かるのである。

氷川きよし
冬の夜に、屋外であんなに声が出るなんて。

石川さゆり
天城越え 聞かねば開かない お重箱

喉の調子が悪い石川さゆりを観たことがない。やっぱ演歌の方々は、すごい意気込みで紅白に調整してきた感じが伝わる。

バナナマンの副音声
安定しておもしろい。私と姉とくぼくんと3人で副音声やってみたいね!とお誘いしたら、即刻両者から断られた。無念。

と、まあ、豪華なステージや演出でこんなにも楽しめるんだから、
もうゴジラやらなんやらはいいじゃないかという気持ちである。

紅白の辛いところは、歌合戦といいつつ、歌番組でなく、エンターテイメントにしなければならないこと。
しかも万人にうけるエンターテイメント。
だから、私一人が満足しまくる番組だったら、きっと隣の人は全然満足できない内容なのだ。

いろいろ詰め込んでしまうのはそんな理由もあったりするのかなー、
はたまた、NHKが面子をかけて総力を注いでいる結果こうなっているのか。

とかいろいろ考えるのもおもしろかっあし、
やっぱ今年も紅白おもしろかった!

東京事変イエモンも解散したけど、
紅白に出てる。
SMAPもそんな風になるんじゃないだろかねー。希望的観測。

まだお正月がいいよー。

LA LA LAND

2回も映画館に行ってしまった。
しかも2回目はI-MAXに行ってしまった。
ネットを覗くと感想は賛否分かれるようだが、もう私の中には賛しかない。

もうこのあとネタバレしまくるので、最初に伝えたい。みようかなと思っている方がいたら、ぜひ。これはDVDでなく映画館でみる映画だと思うので、ぜひポップコーンとみてほしい。それでもし、この文章を読み進めようと思ってたら、ぜひ中止してください。

個人的に映画を見ながら、様々なことを考え、頭の中をぐるぐるにして、勝手にひとしきり感動するという行為を好んでいるのだけど、もうこの映画はその行為にぴったりな映画だった。

結論からいうとハッピーエンドじゃないんだけど、2回目を見終わった後にHUBにて開かれたLA LA LAND緊急会議にて、くぼくんと私で、あれはハッピーエンドの部類に入るという結論で満場一致した。

もうね、ライアン・ゴズリングの哀愁がたまらなくかっこよいのです。なんですか、全くけしからん程かっこよい。もうゴズリング宛に芋きんを1,000個送りたい。
あと、ああ、この曲を歌うシーンでエマ・ストーンはオスカーとったなという圧巻のシーンがあって、もうポップコーンがしょっぱいのか、涙がしょっぱいのか分からない状況になるのです。

ミュージカル映画なんだけど、ビブラート効かせて熱唱するシーンはほぼなく、ほとんどが鼻歌から少し発展して歌詞を口ずさみながら歌う曲で構成されていて、ああ、なんか気持ちがのって、話ながら歌っちゃうときあるよねぐらいな気持ちでみることができた。

曲自体は、切ない場面は切ない感じなのだけど、全体的に軽快。もう見終わってから鼻歌とステップがとまらない。
今まで積み上げられてきた文化(ミュージカル)を基礎として、より軽快に、より日常使いできる身近なものへと発展させていく、これこそポストモダンの定義なのではないかと思える、そんな感じである。

劇中のメッセージ的なもので、最も強く感じたのは、家族であれ、友人であれ、恋人であれ、相手のことを1番に考えて、自分のこれからの行動を決断できること、
あるいはその反対で、自分のことを1番に考えてもらって相手に決断してもらうこと、これは人間が生きている醍醐味の一つなのではないかと思った。

それがたとえどんな結果だったとしても、それは一緒に生きているからできることで、そこまでの決断に至らせるまでのコミュニケーションの賜物なのだと思う。

そう思って振り返ると、私は、自分のことを1番に考えてもらって、相手に決断してもらってきたことが多すぎる。
あと数週間で三十路。ライアン・ゴズリングを見習わないといけない。
まずはあのムキムキ筋肉を手にいれることからだろうか。精進。精進。

ポストモダンの考察と、三十路としての振り返り、そして英語とダンスの勉強のため、サウンドトラックは久保家の支出として認められたのであった。

はー、買ってよかった。
カラオケで歌えるように練習。練習。

知識のパトロン

暮らしの手帖
がなぜか突然郵送されてきた。
頼んでもないが、私宛なので、
びりびり開けると、
年間購読という、
まーむちゃんからの誕生日プレゼントであった。
まーむ女史、なかなかやるではないか。
粋ではないか。

暮らしの手帖もそうだが、
我がまーむは、
様々なおもしろいことを教えてくれる。
朝倉彫塑館の庭がいいよ、
パウルクレーの絵がいいよ、
自由学園明日館っていったことある?、
芹沢けいすけのカレンダー買っちゃった、
小三治の落語行ってきたよ、
などなど。

私が持つ文化の知識のかなりの部分は、
まーむちゃんから供給されてきた。
まーむは一番身近な知識のパトロンなのである。

また、まーむがせっせと図書館に通ってラインナップされる本棚は、なかなかに魅力的で、実家に帰る楽しみの一つになっている。

向田邦子茨木のり子がどんな人なのか、
この本棚から学習した。

もちろん、興味のない本もたくさんあるが、
共通する興味の範囲が存在することは確かで、
いつも、ほほー!となる本があるのである。

知識のパトロン、なかなかいい響きである。

30歳になっても教わることはまだまだたくさんあり、家庭での教育は続くのである。
そう思うと30代もなかなか悪くないと、なんとなく思えてきたような、こないような。
やっぱりあと15年ぐらい20代でいたいと思うような。

ま、そこの葛藤はちょっと置いといて、
今度まーむに、プレゼントのお礼として、
ライアンゴズリングの良さとラララランドの素晴しさを力説してあげよう。

あー、近所にライアンゴズリング歩いてないかな~~

おげんさんといっしょ

先日、おげんさんといっしょという星野源の初冠番組を視聴し、おもしろかった。
おもしろいというよりは、心地よかった。

星野源が番組冒頭で、歌番組の出演というのは、ものすごく緊張するもので、何かそういった緊張から解き放たれたリハーサルのような番組をやってみたかった、そういった方が新しいものが生まれやすいと思った、と番組コンセプトを語っていた。

言われてみると、視聴者のこちらも 、リラックスできる家に帰ってきて、ガチガチに緊張した人のパフォーマンスを見るより、鼻歌ぐらいの気楽で心地よい音楽がテレビから流れてるぐらいがちょうどいい。

私は、ガチガチに緊張した星野源やりんごちゃんをテレビで見たいのでなく、星野源やりんごちゃんがのびのびして楽しそうにしてる姿が見たい。
自由な彼らの本質にアプローチした番組が見たいのだ。

そういった意味で、おげんさんといっしょはとても心地よい番組だった。まあ、テレビだから全くの自然体など不可能だと思うが、自然体により近づいていたと思う。

この心地よさを求める私の気持ちは、おげんさんだけにとどまらない。

料理番組である。

私は、料理番組が好きで、
実際に作るためというよりは、ただぼーっとひとつのものができあがっていくのを眺めるのに悦を感じている。家の録画のほぼ半分は料理番組である。
これは今まで複数人から賛同を得ている嗜好であり、こういう人は実は結構多いのではないかと思っている。

しかし!料理番組。
これは、段取りの塊である。
当たり前であるが、いかに美しく見せるか、いかに時間内で美しく時間を使って完成させるかに主軸がおかれている。(※平野レミ巨匠除く)

調理過程で出たゴミはどんどんアシスタンタトがフレームアウトさせ、次に使う調理器具はどんどんフレームインしてくる。

普段家では絶対にやらない、盛り付けで汚れた皿を布でふくという行為があくまで自然になされ、洗い物のシーンはほとんどない。

見たい。
先生がテレビ的なことを全く気にせずに、普段の家庭で作っているかのような姿、その全行程を見たい。
調理を進めながら、洗い物をする姿を見たい。

あ、結構、スポンジに洗剤付ける派なんだ、
おお、このタイミングで、さっきのザルを洗うのか、
ほう、残ったショウガはそうやって冷蔵庫にしまうのか、
へー、生ゴミはこうまとめるのか、
あ、さっき使った皿をここでも使うのか、

調理過程の始めから終わりまで、
余所行き感なしの番組を見たい。

なんなら、料理は解説してくれなくていい。
横でバンドか何かが演奏してて、音楽が流れながらただの調理行程が流れてるだけの映像でいい。そしてもはや料理がうまくなくてもいい。先生じゃなくてもいい。横でたかしこが踊っていてもいい。

地上波で!って、わがままいわないから。

まあ、もしや、もはや存在しているのかもしれないが。

おげんさんといっしょを見て、
作り上げられたものを見る、
ということだけが、即ちエンターテイメントであるということではないことを再確認した。

イノシシ

急な話だけれど、
実家でイノシシを飼うことになった。
すでに家にいる。
しかも、親子。

イノシシといっても、大きくない。
ミニブタのふたまわり大きいサイズだ。
親イノシシ(以後、オヤシシ)は家の中に放たれ、
1階と2階を自由に行き来している。
ベビーイノシシ(以後、ベビシシ)は、
フタつきのクリアケースに入れられている。
もちろん、フタは空けてある。
全部で8匹。多い。ぷぎゃぷぎゃ言うにもほどがある。

正直、世話がものすごく大変である。
ベビシシは結構寝ているので、ミルクの時だけクリアケースから出して、
オヤシシの乳をあげればいいのだが、
オヤシシは散歩に行かねばならない。

散歩にはリードを使う。
イノシシを散歩させている人を、私は見たことがない。
前に雨の日、駅前で、
レインコートの代わりに、
青いビニールシートをロープで胴体に巻きつけられている柴犬を見たことがあるが、
イノシシの散歩は、おそらくそれ以上の衝撃であろう。

オヤシシの全力ダッシュをなめてはいけない。
速い。めちゃちゃ速い。
ペットの散歩初体験な私は、
散歩コースを事前に決めていたわけでないのだが、
オヤシシにまんまと流され、
近所といえども、知らない街に来てしまった。
知らない店がいっぱいある。
回転ずしならぬ、回転刺身屋。
刺身が回転している。店構えからみて、どうやら老舗のようだ。
アメリカの輸入雑貨を売っている店。
こんなにかわいい店が近所にあったのか。

オヤシシの速さは留まることを知らない。
私は、この先がとても不安だ。
イノシシを飼っている人なんて聞いたことがない。
自分の、現状でもままなっていない学業とイノシシの世話を果たして今後、両立できるのだろうか。

ていうか、ベビシシがオヤシシになったら、
イノシシを9匹連れて散歩するのか?
もう、引っ張られすぎて、散歩中に空を飛べるかもしれない。
そしたら、逆にうれしい。

そんなことを思いながら、オヤシシと全力ダッシュしていると、
ふと、
「でも・・・これなら、毎日走るきっかけができる。
やせられる。それはちょっとうれしい。」
と思った。

そして、目が覚めた。
立ちあがり、
一応、家を見まわしたが、
1階にも2階にもイノシシなどいなかった。

自分でも、鮮やかな夢だったと自負している。

とりあえず、今後イノシシを飼うチャンスがあっても、
断念するように心がけようと思う。
イノシシがいなくても、ランニングをはじめたい。
足が寒すぎて、おなかいたい。

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mixiで前に書いた日記。
結構気に入っているのだ。
いのししを飼ったら大学院は卒業できなかったな、うん。
やらなければならない夜ほど、こういう無駄なことをしてしまう。
いやんいやん。

日本民藝館へ

少し前に日本民藝館へ行ってきた。
大学生の頃に、民藝なるものの見方があることを知り、いつか民藝館に行きたい~と思いながらもなかなかおしりがおもたくて、やっと行けた。

色絵の器の企画展中だった。
民藝の世界は興味はあるが、
知識は全然ないので、ほへ~という感じで観賞。
赤絵のお皿がとてもきれいだったり、
濱田庄司の波波してる小皿がかわいかったりした。
こりゃすげー!割ったらヤバイね!というお皿もあれば、100均にありそうだねと見えるものもあった。無念、わたくしの審美眼。

そしてそんな審美眼の私がもっともうっとりしたのが、建築。
なんだろうか、この心地よさ。
日本建築のどっしり感と西洋建築のすっきり感。
1階、2階、右、左、どこに立って眺めても美しい。
ここにいると、二割増しお行儀が良くなったように思える。
建築には詳しくないが、天井が低い感じと吹き抜けがあってシンメトリーな感じが、明日館の雰囲気に似ていた。

別館になっている柳宗悦邸も見学できた。
こちらも素敵で、
日本的な情緒があって、どこか懐かしさを感じながらも、なんかこう軽やかな、そんな空間であった。
茅葺き屋根の日本家屋にいったら、お茶受けにグレープフルーツゼリーが出てきたみたいな感じであった。どっしりと軽やかの共演。

なんかこう、
ナガシマスパーランドのプールにある大きなバケツから水がバシャコーンと注ぎ込まれるみたくして、西洋文化がうおぉー!と入ってきて、
えー!何ー!西洋すごいよー!
真似よー!全力で真似しなくちゃー!
みたいな明治という時代があって、
その後に、西洋文化を一周眺めて、
一回お茶を飲んで落ち着いて、
では諸君、日本の文化と西洋の文化が融合した先に見える美はなんだろうか、と考えられた時代が大正とか昭和の前期だったんじゃないだろうかという妄想が広がった。

柳邸には、団欒のお部屋から眺められるお庭があった。
お庭には桜の木が1本と草本類、その間をセミやらハチやらがプイーンと飛んでいた。
「庭にはあまり興味がない方だったようです。」と館の方が言っていた。
私のとても好きな庭だった。

妄想を入道雲のように育てながら頭の上に乗せて、眺める柳邸の庭は夏の思い出になった。

その後、まーむちゃんが持っていてうらやましかった壺屋焼のお皿をゲット!
長年嫌いだったけど、最近食べられるようになった小松菜を盛る。f:id:ariooo:20200405110127j:plain