LA LA LAND

2回も映画館に行ってしまった。
しかも2回目はI-MAXに行ってしまった。
ネットを覗くと感想は賛否分かれるようだが、もう私の中には賛しかない。

もうこのあとネタバレしまくるので、最初に伝えたい。みようかなと思っている方がいたら、ぜひ。これはDVDでなく映画館でみる映画だと思うので、ぜひポップコーンとみてほしい。それでもし、この文章を読み進めようと思ってたら、ぜひ中止してください。

個人的に映画を見ながら、様々なことを考え、頭の中をぐるぐるにして、勝手にひとしきり感動するという行為を好んでいるのだけど、もうこの映画はその行為にぴったりな映画だった。

結論からいうとハッピーエンドじゃないんだけど、2回目を見終わった後にHUBにて開かれたLA LA LAND緊急会議にて、くぼくんと私で、あれはハッピーエンドの部類に入るという結論で満場一致した。

もうね、ライアン・ゴズリングの哀愁がたまらなくかっこよいのです。なんですか、全くけしからん程かっこよい。もうゴズリング宛に芋きんを1,000個送りたい。
あと、ああ、この曲を歌うシーンでエマ・ストーンはオスカーとったなという圧巻のシーンがあって、もうポップコーンがしょっぱいのか、涙がしょっぱいのか分からない状況になるのです。

ミュージカル映画なんだけど、ビブラート効かせて熱唱するシーンはほぼなく、ほとんどが鼻歌から少し発展して歌詞を口ずさみながら歌う曲で構成されていて、ああ、なんか気持ちがのって、話ながら歌っちゃうときあるよねぐらいな気持ちでみることができた。

曲自体は、切ない場面は切ない感じなのだけど、全体的に軽快。もう見終わってから鼻歌とステップがとまらない。
今まで積み上げられてきた文化(ミュージカル)を基礎として、より軽快に、より日常使いできる身近なものへと発展させていく、これこそポストモダンの定義なのではないかと思える、そんな感じである。

劇中のメッセージ的なもので、最も強く感じたのは、家族であれ、友人であれ、恋人であれ、相手のことを1番に考えて、自分のこれからの行動を決断できること、
あるいはその反対で、自分のことを1番に考えてもらって相手に決断してもらうこと、これは人間が生きている醍醐味の一つなのではないかと思った。

それがたとえどんな結果だったとしても、それは一緒に生きているからできることで、そこまでの決断に至らせるまでのコミュニケーションの賜物なのだと思う。

そう思って振り返ると、私は、自分のことを1番に考えてもらって、相手に決断してもらってきたことが多すぎる。
あと数週間で三十路。ライアン・ゴズリングを見習わないといけない。
まずはあのムキムキ筋肉を手にいれることからだろうか。精進。精進。

ポストモダンの考察と、三十路としての振り返り、そして英語とダンスの勉強のため、サウンドトラックは久保家の支出として認められたのであった。

はー、買ってよかった。
カラオケで歌えるように練習。練習。